キ83試作遠距離戦闘機
Ki-83 Experimental Long-Range Fighter
キ83は第二次世界大戦中に三菱によって開発・試作がなされた日本陸軍の双発複座戦闘機である。 戦後に行われた米軍のテストでは高度7,000mにて762km/hという驚異的な速度を記録した日本最速の 戦闘機だったが、実用化前に終戦を迎え戦局に寄与することはなかった。
キ83はもともとキ45改(二式複戦「屠龍」)の後継機として、昭和16年5月陸軍航空本部によって三菱に試作発注 された機体である。陸軍から求められた性能は、爆撃機に随伴し得る長大な航続力と、迎撃してくる敵戦闘機を排除できる能力 とされており、最大速度700km/h以上、行動半径1,500kmという極めて過大なものだった。
しかし太平洋戦争が勃発し二式複戦の実戦投入データなどもフィードバックされるようになると、キ83への陸軍の要求
は二転三転し、作業は大幅に遅延することになる。
ようやく基礎要綱が固まったのは既に日本の敗色が濃くなりつつある昭和18年7月であり、このときには高高度戦闘機、
司令部偵察機への転用も示唆されており、複雑な性格を帯びた双発機になっていた。
三菱ではこの仕様を受けて一〇〇式指偵を手がけた久保富夫技師を中心に 設計・試作を進め、試作第1号機を昭和19年10月完成にこぎつけた。
発動機には排気タービン過給器を併用する大出力空冷星型複列18気筒「ハ211‐ル」(離昇出力2,200hp)を搭載し、 日本機としては大直径(3.5m)のVDM電気式可変ピッチ定速4翅プロペラを組み合わせた。
700km/hという要求性能を満たすため空力学的洗練には特に意が払われ、その結果非常にスマートなスタイルに仕上がった。 胴体はエンジンナセルよりも幅が細いほど極限にまで絞り込まれ、風防は操縦席のみを覆うという単座機なみにコンパクトなものとし、 後部席には胴体の左右に小型の窓が設けられたこと等にその徹底振りがよく表れている。
試験飛行では発動機の不調や尾翼の振動問題もあり、最大速度は計画値の700km/hには届かなかった。 尾翼の振動については暫定措置として支柱を付け、増加試作機において改良を行う予定だったが、激化するB−29 による空襲被害によって作業は進まず、結局終戦までに試作機4機が完成するにとどまっている。 その4機も事故と空襲で3機が喪失し、残ったのは試作1号機のみだった。
この試作1号機は疎開先の長野県松本飛行場にて進駐してきたアメリカ軍に接収されそのまま性能試験を受けたが、 このとき米軍規格のオクタン価の高いガソリンが使用され、計画値を遥かに上回る762km/hをたたき出した。 これは第二次世界大戦で日本が開発した戦闘機がマークした最高の数値である。
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Specifications | |
用途 | 遠距離戦闘機 |
発動機 | 「ハ211ル」空冷星型並列18気筒2,200hp×2 |
全長 | 12.50m |
全幅 | 15.50m |
全高 | 4.60m |
最大速度 | 704.5km(計画値) |
上昇力 | 高度10,000mまで8分54秒 |
重量 | 6,308kg(自重) 8,795kg(全備重量) |
航続距離 | 1,953km |
武装 | 30mm機関砲×2 20mm機関砲×2 爆弾100kg |
乗員 | 2名 |
初飛行 | 1944年11月18日 |
生産数 | 4機 |
日本最速の戦闘機。 零戦もそうですが、要求された性能を満たすため贅肉を削ぎ落とし、 極限にまでに絞り込まれたその姿に、悲壮感にも似た日本的な何かを感じずにはいられない機体です。
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