扶桑型戦艦
Fuso class battleship
戦艦扶桑およびその姉妹艦山城は、日本海軍が
金剛型巡洋戦艦に続き建造した超弩級戦艦である。
36.5cm連装砲を6基12門も搭載する重武装を誇り、竣工した当時は世界最大・最強の
火力を持つ強力な戦艦だった。
さらに元は巡洋戦艦として設計された船体のため、23ノット(43km/h)という同時期の戦艦に比べ
てやや速い速力を持っていた。
しかし砲塔の配置など設計にまずい箇所が多々あり、
主砲一斉射撃時に爆風が艦全体を包みこみ照準困難になる、三番・四番砲塔の射界が狭い、
ヴァイタルパート長大化により十分な装甲を張れなかった等々の問題を抱えていた。
とくに甲板装甲が薄く、遠距離から大落角で飛来する砲弾に対する脆弱性が指摘されていた。
1930年4月から呉工廠行われた近代化改装では、機関の換装、舷側装甲範囲の拡大、砲塔の装甲強化 、主砲最大仰角の引き上げ等あらゆる箇所に手が加えられた。この大改装の結果扶桑は三番砲塔が前向き に設置されたが、艦橋とのクリアランスを得るため艦橋後部付け根がくびれた特異な形状となり、これが 扶桑の大きな特徴となった。なお山城の三番砲塔は後ろ向きに設置されたままなので、扶桑との識別は容易 にできる。
この大改装にもかかわらず、それでもなお日本海軍は扶桑型を速力・防御力ともに不十分と見なし、第一線から
外し予備艦として瀬戸内海で保存していた。
その後は練習艦として新兵の訓練に使用されていた扶桑・山城だが、1944年10月
のレイテ海戦には2艦揃って西村祥治中将率いる第三部隊として参加した。
扶桑・山城、重巡洋艦最上、駆逐艦四隻からなる第三部隊はレイテ湾突入を敢行するも、その途上スリガオ海峡にて
戦力で圧倒的に上回る米オルデンドルフ艦隊の迎撃に遭い、駆逐艦時雨を残し壊滅した。
扶桑・山城ともに被雷の後、弾火薬庫に引火・大爆発を起こして沈没するという
悲劇的な最期を迎えている。
関連ページ
- 軍艦たちの眠る場所 - 戦艦
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Specifications(近代化改装後) | ||
排水量 | 34,700 t | |
全長 | 212.75 m | |
全幅 | 33.1m | |
最高速度 | 24.7ノット | |
航続距離 | 11,800海里(16kt) | |
動力装置 | 艦本式ギヤードタービン4基4軸(75,000馬力) | |
武装 |
45口径35.6cm連装砲6基12門 50口径15cm単装砲14基 40口径12.7cm連装高角砲4基 25mm連装機銃8基 |
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装甲 | 舷側装甲 | 305mm |
甲板装甲 | 97〜165mm | |
バーベット | 292mm | |
砲塔前盾 | 305mm | |
砲塔側面 | 152mm | |
司令塔 | 330mm | |
艦載機 | 水上偵察機3機 | |
同型艦 | 扶桑、山城 |