長門型戦艦
Nagato class battleship
長門型戦艦は、戦艦八隻、巡洋戦艦八隻を揃えるといういわゆる八八艦隊計画により 建造された戦艦である。この八八艦隊計画は当時の日本の国力の範疇を大きく超える ものだったため戦艦として完成したのは長門型戦艦のみだったが、 その長門型戦艦は当時最大の41cm(16.14インチ)砲と、 列強戦艦よりも速い速度を兼ね備えた世界最大の戦艦として竣工した。
ネーバルホリデイ期間には、16インチ砲を装備した戦艦が長門の他に 姉妹艦の陸奥、アメリカのコロラド級戦艦3隻、イギリスの ネルソン級戦艦2隻の計7隻しか存在しなかったため、それらの戦艦らと共に 「ビッグ・セブン」とも呼称された。
戦艦長門は太平洋戦争開戦時に連合艦隊旗艦を務め、真珠湾攻撃を指示する暗号電文「ニイタカヤマノボレ一二〇八」
を打電したことで知られている。
旗艦を戦艦大和に譲った後もミッドウェー海戦、マリアナ沖海戦、レイテ海戦
などに参加し、爆撃により数度被害を被るも終戦まで生き延びた。
ちなみに長門は終戦時帝国海軍において自力航行可能だった唯一の戦艦である。
終戦時の状態だが、1945年6月18日の空襲で受けた3発の直撃弾と約60発の至近弾の被害で艦底の二重底に穴が開き、 2,000トンの海水を孕んでいたものの、主砲塔は操作可能、すべてのボイラーも生きていた。
その後長門はアメリカ軍に接収され、1946年7月
ビキニ環礁における原爆実験
(Operation Crossroad)の標的艦として軽巡洋艦酒匂、米空母サラトガ
などと共に使用されることが決定した。
この時の長門は整備不良のため10基あるボイラーのうち稼働できるボイラーは4基のみで、スクリューも外軸の2本しか
動かなかったため10数ノットの速度しか出せなくなっていた。そして主砲ももはや作動させることは出来なくなっていた。
7月1日に行われた1発目の空中爆発実験"Able" では僅かに表面装甲が融解したのみで 被害はほとんどなく、爆発前に稼働していた4基のボイラーも依然健在だった。 この爆発で軽巡洋艦酒匂は衝撃波で上部構造物がひどく破壊され、火災を起こした後沈んでいる。
同25日
2発目の水中爆発実験"Baker"でも右舷へわずかに
数度傾いたのみで、戦艦アーカンソーや空母サラトガが沈む一方で依然として長門は浮いていた。
しかし徐々に傾斜は高まり、数日後の深夜
誰にも見取られることなく海中に没した。
決戦兵器としてその存在が秘匿されていた 大和型戦艦と違い、長門は 連合艦隊の旗艦として長らく日本国民に親しまれた戦艦でもあった。
一方2番艦の陸奥は1943年6月8日に柱島沖合いにて火薬庫の爆発事故により 失われている。自然発火とは考えられにくく人為的なものと思われているが、 原因は不明である。なお引き上げられた陸奥の鉄材は大気圏内核実験が行われる 前の精錬のため人工放射性物質を含んでおらず、そのためガイガーカウンターの 隔壁用に「陸奥鉄」として使用されている。
関連リンク
- The Glorious Imperial Japanese Navy 栄光の大日本帝國海軍(YouTube)
- 戦艦長門をはじめ伊勢型、扶桑型戦艦の主砲射撃演習の模様等を収めた記録映像です。
- 1/350 日本海軍戦艦 長門 昭和16年開戦時
- ハセガワの1/350スケール長門のフルハル組み立てキットです。
Specifications(長門最終時) | ||
排水量 | 42,850t | |
全長 | 224.9m | |
全幅 | 34.59m | |
最高速度 | 25ノット | |
動力装置 | 艦本式オールギヤードタービン4機4軸 82,000馬力 | |
武装 | 45口径41.0cm連装砲4基 50口径14cm単装砲18基 40口径12.7cm連装高角砲4基 25mm連装機銃10基 |
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装甲 | 舷側装甲 | 305mm |
甲板装甲 | 119〜185mm | |
主砲バーベット | 292mm | |
主砲塔前盾 | 356mm | |
主砲塔側面 | 203mm | |
司令塔 | 356mm | |
搭載機 | 水上偵察機3機 | |
乗員 | 1368名 | |
同型艦 | 長門、陸奥 |