高雄型重巡洋艦

Takao class heavycruiser

巡洋艦高雄

高雄型は妙高型に続き建造された日本帝国海軍の重巡洋艦である。 基本的な船体構造や兵装は妙高型と同様だが、 艦隊指揮能力を得るための巨大な艦橋が外見上の大きな特徴となっている。 この艦橋については、用兵側の要求を漫然と受け入れたため肥大化したとか、 被弾径始上好ましくないなどの批判を受けた。ただし艦橋の下層部は煙路 が収まっているので、見かけほどの容積があるわけではない。
しかし高雄型の35.5ノットの速度(竣工時)、 20.3cm砲10門という武装は この時期のアメリカやイギリスの条約型重巡洋艦 に勝るものであり、 また次発装填装置を持つ24インチ魚雷発射管の採用は酸素魚雷の威力もあいまって 他国の重巡にはない強力な攻撃力を高雄型にもたらしている。

高雄型重巡洋艦は高雄、愛宕、摩耶、鳥海の4隻が建造され、太平洋戦争では 巡洋艦を主軸とした第二艦隊として近藤信竹中将指揮のもと、様々な海戦に参加した。

第三次ソロモン海戦では、高雄と愛宕が戦艦霧島らとともにアメリカの新鋭戦艦サウスダコタ、 ワシントンを含む艦隊と戦闘し、サウスダコタ中破、駆逐艦4隻撃沈という戦果を挙げている。 (日本側は戦艦霧島、 駆逐艦綾波を喪失)。この戦闘で高雄と愛宕はそれぞれ8本の九三式酸素魚雷を ワシントンに向け放ったものの、魚雷が途中で自爆してしまい命中はなかった。

レイテ海戦では栗田健男中将率いる第一遊撃部隊 としてレイテ湾を目指すが、その途上パラワン水道でアメリカ潜水艦ダーター(SS-227 Darter)、 デース(SS-247 Dace)の雷撃を受けることになる。
1944年10月23日早朝05:33、ダーターの 放った魚雷4本が愛宕の右舷に命中する。愛宕は右舷に大きく傾斜し、20分後に沈没した。 さらに05:57、今度はデースの放った魚雷が摩耶の左舷に命中する。被雷箇所は艦首錨鎖庫、 第一砲塔下、第七缶室、後部機械室の4箇所。摩耶は大爆発を起こして06:05海中に没した。
そして06:34再びダーターの魚雷2本が高雄に命中した。高雄は大破するも沈没は免れたが、 戦闘継続困難と判断され、駆逐艦長波、朝霜、水雷艇鵯の護衛のもとブルネイに回航された。
ただ1艦鳥海のみは無傷だったが、その鳥海も2日後のサマール島沖海戦でアメリカ艦載機および 空母護衛駆逐艦の攻撃を受け損傷し、最後は駆逐艦藤波の手により雷撃処分とされた。
この3日間で高雄型巡洋艦はその戦力のすべてを失ったことになる。

大破しブルネイに回航された高雄は その後シンガポールに移動したが、そこでは十分な修理を行うことができず、浮き砲台として係留 されていた。1945年6月にはイギリスの小型潜水艦XE3の攻撃を受け大破し、そのままの状態で 終戦を迎えている。
高雄は1946年10月27日にマラッカ海峡にてイギリス海軍の手によって海没処分となり、 その生涯を閉じた。

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巡洋艦らしいスマートな船体に重厚な艦橋のマッチングが非常に美しい船で、 個人的にも好きな巡洋艦です。高雄型は一応ワシントン条約の制限内で 建造された艦ですが、その制限内に収まりうる限りの強力な武装を装備しています。 零式艦上戦闘機もそうですが、制約のあるなかで最大限の効果を得ることを 日本人は得意としているのかもしれません。ただ逆にそれは余裕が全くない設計 ともとれます。数を揃えられない以上個艦の性能を上げざるを得ないそのような 状況が、日本の悲劇だったのかもしれません。
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関連リンク

Googleマップで高雄型巡洋艦の沈没位置を見る。
高雄型重巡洋艦の沈没座標をGoogleマップ上に表示しています。
レゴブロックで作成した巡洋艦高雄
レゴブロックで高雄を再現した海外の方のサイトです。
こちらで各部の詳細を見ることが出来ます。
1/350 アイアンクラッド 重巡洋艦 高雄 1942 初回限定
アオシマの1/350スケール高雄の組み立てキットです。
Specifications(最終時)
排水量 15,781t
全長 203.76m
全幅 20.73m
最高速度 34.2ノット
航続距離 8,500海里(14ノット)
動力装置 ボイラー12機、艦本式オールギヤードタービン8機4軸 132,000馬力
武装 50径20.3cm連装砲5基
40口径12.7cm連装高角砲4基
20mm機銃60
61cm4連装魚雷発射管4基
航空艤装 水上偵察機3機、カタパルト2基
乗員 773名
同艦型 高雄 愛宕 摩耶 鳥海

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