航空母艦「蒼龍」

Aircraft Carrier Soryu

航空母艦「蒼龍」

「蒼龍」は大日本帝国海軍の航空母艦であり、真珠湾攻撃を敢行した 南雲機動部隊麾下6隻の空母のうちの1艦である。
建造は呉の海軍工廠にて行われ、1937年12月29日に竣工した。

それまでに日本海軍が保有していた改装空母「赤城」「加賀」と 異なり「蒼龍」は当初から空母として計画されており、また 軍縮条約の枠内ではあったが「龍驤」ほど排水量に制限(1万トン以内)が設けられていなかったため、 準同型艦の「飛龍」とともに以後の日本空母のスタイルを決定付ける正規空母として完成した。

「鳳翔」に端を発し「赤城」「加賀」の黎明期を経て「蒼龍」と「飛龍」で確立された日本正規空母の系譜は、日本海軍が次に建造する本格的な大型空母、 翔鶴型航空母艦にて完成することになる。

「蒼龍」は空母としては中型の部類に入る船体に 戦艦大和を上回る15万2千馬力の 機関を搭載し、公試34.9ノットを記録するという世界最速の航空母艦だった。
艦橋は準同型艦の「飛龍」が左舷中央部にあるのに対し「蒼龍」は右舷前部に小型のものが位置しており、 外見上の特徴となっている。

「蒼龍」は真珠湾攻撃以来も機動部隊の一員としてウェーキ島やアンボン島の攻略支援やオーストラリアのダーウィン空襲に参加し、 セイロン沖海戦では英空母「ハーミーズ」、豪駆逐艦「ヴァンパイア」を撃沈するなど、太平洋からインド洋にかけて縦横無尽に活動した。

しかし1942年6月、ミッドウェー海戦にて「蒼龍」は米艦載機の攻撃を受け、僚艦の空母3隻と共に失われてしまった。
艦隊直掩の零戦が雷撃機の迎撃のため低空に降りた隙に、上空からドーントレス爆撃機の爆撃を受けたのだ。「蒼龍」には 3発の1,000ポンド(454kg)爆弾が直撃し、1発が下層のハンガーデッキ、もう2発が上層のハンガーデッキで炸裂した。

ちょうど米空母に対する攻撃準備中でハンガーには弾薬と燃料を満載した航空機が待機していたため、誘爆が連なり程なくして「蒼龍」 は航行不能に陥ってしまう。

「蒼龍」は総員退艦の後駆逐艦「磯風」の雷撃によって自沈処分された。
犠牲者は艦長の柳本柳作大佐以下718名で、ミッドウェーで喪失した4空母のうち最も高い死亡率だった。

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そうりゅう型潜水艦
海上自衛隊のそうりゅう型潜水艦のページです。
Specifications
排水量 15,900t(基準) 19,500t(満載)
全長 227.5m
全幅 21.3m
最高速度 34.5kt
航続距離 7,680海里(18kt)
機関 オールギヤードタービン4基、4軸推進
出力 152,000馬力
武装 12.7cm連装高角砲6基12門
25mm連装機銃 14基28門
搭載機数 57機(+補用16機)
乗員 1,100名
準同型艦 飛龍

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