信濃型航空母艦
Shinano class aircraftcarrier
信濃は帝国海軍が建造した排水量において当時世界最大の航空母艦である。 もともとは大和、武蔵に続く 大和型戦艦の3番艦として横須賀海軍工廠で起工された信濃だが、 太平洋戦争の開戦にともない工事が中断されていた。 そこへミッドウェー海戦で正規空母4隻を喪失したことを受け、失った空母の穴を埋めるべく 急遽空母へと改装されることになった経緯を持つ。
信濃は64,000トンというその巨体の割に搭載機数が47機と少ない。 これは格納庫が従来の最上甲板に一層のみということもあるが、もともと の改装基本方針が、
- 本艦の空母としての性格は従来の空母と一変し、洋上移動航空基地とする。 原則として格納庫、固有の艦載機を持たず、作戦に当たっては最前線に進出し、後方の空母より発進した 艦上機の中継基地として爆弾、燃料の補給を行う機能を有する。
- このため、本艦は巨大な飛行甲板に十分な甲板防御を施し、敵の空襲下でも洋上移動航空基地としての 任務を達成する。
というもので、従来になかった新しい発想の空母であったためである。
ただこの基本方針には軍令部や航空本部からの異論も多くあり、
最終的に固有の格納庫を設け、艦上機を搭載する事として決定した。
信濃の特徴はこのようなコンセプトやミッドウェイ海戦での戦訓に基づき、飛行甲板に強固な防御を
施したことにある。
信濃の飛行甲板防御は、飛行甲板の中央部210メートルの範囲、つまり格納庫部分全長にわたって
甲板防御が施されたが、飛行甲板と格納庫は500キロ爆弾の急降下爆撃にも耐えうる物として設計
され、20ミリのDS鋼板の上に75ミリCNC鋼板が装着された。
日本空母で飛行甲板に防御を最初に施したのは
大鳳だったが、防御範囲は信濃が勝っていた。
飛行甲板にあわせて昇降機にも日本空母として初めて本格的防御が施されたが、昇降機は前部が15メートル× 14メートル、後部が13メートル×13メートルで、飛行甲板と同じく75ミリ鋼鈑が装着され、重量は 前部180トン、後部110トンの大重量となり、昇降装置の設計には苦心があったと言われている。
船体主要部の防御は、対20センチ砲弾、航空攻撃に対しては4,000メートルからの800キロ爆弾の
水平爆撃に耐えうるものとして設計されたが、水中防御は戦艦の設計と同じとされ、機関部は艦底防御を
強化した。
舷側防御は対20センチ砲防御としたため、戦艦の時より軽防御となった。
その他、機関室通風筒、揚爆弾筒、揚魚雷筒にも防御が施され、さらには格納庫に泡沫消火器が装備される等、
防御強化のみならず被弾時の消化設備も強化され、最も堅牢な防御力を誇る日本空母となるはずだった。
ところが信濃がその防御力を戦場で発揮することはなかった。
信濃の建造工程は、当初計画では昭和20年2月完成とされていたが、マリアナ沖海戦直後、19年10月完成
に工程繰り上げが命じられ、工事の促進が図られたが、これにともない工事省略、各種気密試験省略が行われた。
しかし結果的にこれが信濃の命取りとなった。横須賀海軍工廠関係者の必死の努力で10月8日、建造ドックで浮揚の
運びとなったが、注水作業の手違いから艦首部を破損、その修理を完了して、11月19日に竣工した。
そして11月23日、最終艤装を施すために呉工廠へと回航されることになった信濃は
その途上11月29日、米潜水艦アーチャーフィッシュの放った魚雷4発が命中、被雷箇所からの浸水増大により
転覆、潮ノ岬沖にその巨体を
没した。
本格的に戦艦並みの水雷防御を有する信濃は、適切な防水対策を講じていれば
、簡単に浸水、沈没するはずは無かったが、前述の気密試験の省略による防水区画の不備と乗員の訓練不足から来る
適切な防水対策がとられなかったため、沈没に至った。
竣工からわずか10日の命だった。
Specifications | |
排水量 | 64,000t(基準) 71,890t(満載) |
全長 | 266.1 m |
全幅 | 36.3m(水線長)40m(飛行甲板) |
最高速度 | 28 knots (52 km/h) |
航続距離 | 7,200海里(16kt) |
動力装置 | ボイラー12基、艦本式オールギヤードタービン8基4軸、150,000馬力 |
武装 |
40口径12.7p連装高角砲8基 25mm機銃145門 12.7cm28連装噴進砲12基 |
搭載機 | 47機 |
乗員 | 2,400名 |
同型艦 | なし |
有名過ぎる戦艦大和の影に隠れて影の薄い2番艦武蔵よりもさらに知名度の低い(一般的に)大和型の三女、空母信濃です。
竣工から僅か10日で撃沈されるという不運な艦ですが、 それにしても旧海軍は潜水艦による被害がとても多いです。 信濃の他にも空母大鳳、 翔鶴、雲龍、 戦艦金剛などの戦闘艦や、南方からの資源を運ぶ輸送船も片っ端から潜水艦によって沈められました。 学童疎開船の対馬丸が撃沈されるという悲劇も起こりました。 現在、海上自衛隊が対潜能力に特化しているのも大戦中の教訓なのかもしれません。